”大人”のいない世界の少年たち。映画「バクマン。」は子どもにこそ観てほしい。

映画「バクマン。」を観てきた。(ちなみに私は原作を知らない人です。)これは、絶対に子どもに観て欲しい。と思った次第。
漫画家の道をひたすらに歩む二人の少年たち。サイコーが漫画家になることを後押ししたのは、不純な動機(恋)w
だがしかし、この純粋でピュアな彼と彼女(亜豆ちゃん)の約束を果たすべく、シュージンとサイコーは週刊少年ジャンプの編集部に原稿を手に乗り込む……。*1
ものすごく、良かった。途中サイコーがクリスマスの夜にバックマンの単行本の帯にある叔父さんの言葉を見て、走り出すシーンや、二人が一心不乱にペンを走らせている音とか、そんな所で一人泣いた。今しかないこの衝動に突き動かされるままに、生きている刹那感は思春期の子ども特有のものであって、私はもうそんな域から卒業してしまったことに「ハッ」と気づかされる。
そして大人はある一点において「自分は子どもではない」ということを実感する作品である。
この作品、"大人"がいない。
もちろん、編集部の人たちは皆大人である。しかし、漫画に携わる夢追う大人。それ以外は、彼らが通う学校の先生くらい。つまり、何より身近にいる漫画の世界とは別の所にいる"大人"=親の存在がない。これに悔しいことであるが私は違和感を抱き、そこで「フィクションだ」と痛感する。
何か「夢」を成し遂げるためには、必ず家族と対峙する。それがこの「バクマン。」は徹底的にそぎ落としてある。
この"大人"のいない世界がこの映画を観た子どもたちにクリーンヒットすると思う。私はもう大人だから、ここで母親や父親の反対はないのか!?と不安になったり、無駄にドキドキしたりしたんだけれど、ひたすら夢を追ってガムシャラなエモさだけにスポットを当てたこの作品はまさに子どものための映画だ。

―これは俺の漫画です。(サイコー)

この言葉を血走った目から一筋の涙を流してサイコー(佐藤健さん)は訴える。

漫画はフィクションだけれども、シュージン(神木隆之介さん)の眼鏡から見えた彼の頭の中は、ノンフィクションをフィクションに変換していた。自分達が全く楽しまなかった学校という場所を舞台にしたSFフィクション。「この世は金と知恵」と言う少年ジャンプでは邪道な題でありながら、「友情、努力、勝利」という王道を体現する二人。

端々でやられたな〜(にんまり)とする映画であるとともに、二人の会話の応酬が効いていた。彼らにしかできない掛け合いに脱帽。*2あと全てのキャストが絶妙な配役。素晴らしい。

子どもたちは純粋にこれを観て、自分の将来の夢に思いを馳せて欲しい。「友情、努力、勝利!うおぉぉぉぉ!!!!」と年甲斐もなく叫びたくなった。

*1:ちょっと違う笑

*2:この二人、しゃべくり007の番宣の時から息の合い方半端なかったし。