Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

映画「風立ちぬ」を観てきました。客層は私の両親ぐらいの方々が多くいらっしゃって20代の娘さんとお母さんという組み合わせとかが意外に多かったです。
いろいろな前評判を聞いていたり、感想レビューを読んだりしていたので「なるほど」と思うところがあったのですが、あと3回ほどみたくなるくらい語りたいことがありますので、以下ネタバレ。


まず主人公の堀越二郎さん。典型的な理系馬鹿であり、熱中すると周りが見えない聞こえない、生粋のエンジニアタイプ。子どものように純粋に興味関心のおもむくまま生きている。それでいて正義感があり、一本筋が通っている。ひょろりとした風貌ではありますが、昔の古き良き日本男児です。

ということで、人物評はいくら字数があっても足りないので、私的この映画の着眼点3つ。

?夢を追い求める少年の成長物語としての位置づけ

主人公二郎は、小さい頃から飛行機にあこがれて英語の飛行機雑誌を辞書を片手に読み漁るそんな子です。
映画の冒頭も主人公の夢のワンシーンから始まり、最後も夢のシーンで終わります。その夢の中にはいつも飛行機とそしてイタリアの設計士カプローニ。この二人のやりとりはさながらジブリ映画の「耳をすませば」の雫とバロンを彷彿とさせるんですが、パンフレットの登場人物のカプローニ役の野村萬斎さんの言葉の中に、宮崎監督がカプローニのことを「メフィストフェレス」と表現しているという旨が書かれています。〈悪魔〉つまり、この夢は悪に転ぶ可能性も秘めていると。それは、カプローニが出てくるたびに言葉にする、飛行機を作るものの宿命、「飛行機は戦争とともにある」*1ということ。いつも、「これは実は戦闘機だけれどね。」といって二郎に見せる飛行機たち。でもそこには、戦争のために作るというどろどろした感情はなりを潜めて、ただ飛行機を作って人が空を飛ぶ喜びを表している。*2

そんな夢が随所随所に現れ、二郎はどんどん成長していくのに対してカプローニはそのままの姿。そして大人になった二郎に対しても「少年」と呼ぶ。そして設計士の寿命は10年だという言葉通り、物語のクライマックスはそういわれた夢から10年後、おそらく終戦あたりで幕を閉じます。カプローニといる夢の中では二郎はいつまでも日本の「少年」なんです。ただ夢である飛行機を作るということを実現しようと一生懸命な「少年」。

初めて自分で最初から設計した飛行機が試験飛行で落ちていく姿と、その残骸を目の当たりにする二郎の後ろ姿。最初の挫折の場面です。これは、男の人はもっとくるだろうなー。あの背中が泣かせるというアニメなのに役者の演技を観たような気分でした。

でも、目をきらきらされながら自分の後輩と意見を交わす姿や、夢中で定規を片手に計算している姿って地味だけどすごくかっこいいんですよね。

挫折を乗り越え、戦争に使われるけれども飛行機を作るという夢を叶えた少年の成長物語として観ると、非常にさわやかなものがあります。



?ヒロイン菜穂子との出会いと別れ

今回のこの作品が大人のアニメと称されるのは、この二人の恋愛も少なからず関係しているように思えます。いろんな感想を事前に読ませていただいたんですが、確かに!と思ったのがこれ。まず二人の出会い方が粋である点。彼らの出会い、再会、別れは幾度となく劇中描かれますが、「風」がそこにいつもあります。

最初の出会いがもうこれはさながらフランス映画のようなドラマチックな展開で。電車で風が二郎の帽子をさらっていったのを菜穂子が捕まえるところから始まります。その時の会話が堀辰雄風立ちぬ」の冒頭に引用されているフランスのポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”前半を菜穂子が後半を応えるように二郎がつぶやきます。「風立ちぬ、いざ生めやも。」堀辰雄はこのように訳しています。「風が立った、さあ生きなければならない。」というような意味でしょうか。これを宮崎監督は「生きねば」と記しています。彼らの間に「風」があるように彼ら二人は劇中で精一杯「生きている」。

昭和のお嬢様と技術士の再会はその後軽井沢で再び運命が「風」と共に運んできます。そのときが二郎が挫折を味わった後、そして菜穂子が療養中というマイナスの要素がそろった状態。でもそれだからこそ、二人が「生きている」ことがありありと感じられる場面です。何よりかわいいんだ、この二人。さっきはフランス映画といいましたが、ここでのやりとりは和製版ロミオとジュリエット。紙飛行機を介しての二人の逢瀬がかわいい!ここが一番幸せの絶頂だったんじゃないかなと思います。
二郎さん、技術士だから本当に木訥としているかと思いきや、なかなかのロマンチストというかスマートなんですよ。ポイント高し!

病に冒された菜穂子はただか弱い女性だと思ったら大間違いで、さすが宮崎監督。ヒロインはいつも芯の通った凛とした人物であるというのは今回も健在です。自ら二郎に会いにいく行動力と、最後は身を切る思いで別れを告げずに去って行く。すごくかっこいい。この最後も遠くにいる二郎は「風」で感じます。

「風」のようにたおやかで爽やかで儚い人。はち切れんばかりの二郎さんへの愛に溢れた素敵な女性です。

二郎さんもこの菜穂子の存在があって夢を追いかけられたんだろうなあ。

病床の菜穂子とその傍らで机を持ってきて仕事をする二郎。このやりとりもすごく素敵なので。

彼らの間には、戦争もこの時代の背景も何にも関係なくただただ「風」が寄り添っています。


?戦争という時代と震災を描く

物語の冒頭には、飛行機が戦闘機として使われていくことを暗示した夢の描写や、関東大震災、そして第二次世界大戦と、当時の時代の描写がなされています。震災の時と戦争の時と東京の町が地平線に沿って真っ赤に燃えている様子は同じなんです。自然の力と人間の力。東日本大震災で自然の脅威を改めて感じさせられましたが、自然の脅威に匹敵するほどの人間の技術による代償である戦争が映像でずしんと胸にきました。

この作品に出てくる人々は自分の境遇に嘆き悲しみ怒る……そのような感情よりも先に「生きていく」ことを選択しているように思いました。


最後のエンドロールで流れる「ひこうき雲」オリラジのあっちゃんが今朝ZIPで「40年の時を超えた偶然という奇跡」というような文言で、この映画と曲の関係をスタジオジブリプロデューサーの鈴木さんと対談されていましたが、その通り。40年前の曲と、映画が共鳴して懐かしさと切なさを演出していました。

"空に憧れた堀越二郎が夢と愛に生きた半生"

これから毎年夏に思い出して観たくなる映画になりそうです。

*1:実際の台詞ではありませんあしからず。

*2:暗にどろどろを表す描写が少しずつちりばめられていはしますが。