もう一つの「ピンクとグレー」。劣等感と理性。

観ました映画「ピンクとグレー」。完全なるネタバレです。そして、かなりネガティブです。
観ているうちに、自分自身が抉られてとっても辛かった。これは原作とは云々ではなく、ただただ自分自身の劣等感を呼び起こされて、絶望の淵に落とされたような感覚。その状態をほんの少しだけ救ってくれたのが、皮肉なことに最後の最後に出てきた柳楽君が演じた「白木蓮吾」だった。

私の中のりばちゃんは、理性の人だった。凛とした印象で、まじめで実直な人。ただものすごく不器用。*1そして、それが小説中のこの言葉に表れていると思うのです。

「同情するよ、そんな世界で売れちまったことに」少し皮肉を言った。そこには幾ばくか嫉妬も混じっている。そして直後に、この五年間で溜まっていた複雑で不快な感情はするすると解け、残ったのは憐れみだった。痛々しく弱った彼は、かつて僕の憧れていたごっちではなかった。 ― 第十章 25歳 チャイナブルー、バーボンソーダ、スノーボール、スコッチ

芸能界のてっぺんにいるごっちに対して冷静に対岸で見つめている静かな様子が印象的だった。

そんなりばちゃんが、映画の中では短絡的で愚直で(あえての前半62分は置いといて……)、ごっちという隣のスターに劣等感を感じて、どうしようもないけど何もしない。そんなりばちゃんになっちゃっていて。しかも周りの大人やサリーや共演者に目を背けていた自分の怠惰な様を指摘され、どんどん絶望の深みにはまっていく。見ていて本当に苦しかった。だからこそ、ごっち(柳楽君)とりばちゃんの幻の邂逅。でもさ、ごっちにとってはりばちゃんがヒーローで、「ただひたすらにきみが好き」だったのにな。

原作と違うという違和感というよりも、私は加藤シゲアキ原作の「ピンクとグレー」のりばちゃんを聖人君主だと思っていただけなのか?

ってまで書いてから、ライムスター宇多丸さんのピングレ評を聴きました。ほっとした。IQを下げすぎているために、小説独特の感情の機微が見えなかった。あと、女性を性愛の対象としか観ていないところが。唯一お姉さんだけ清廉としていて安心していたのに、なんでそっち?姉弟?という残念感。

ここまで言っていますが、多分私が典型的な邦画の若者の描かれ方の型が合わないんだろうなという根本的な所に行き着きました。
ピンクとグレーの色合いが恐ろしくどきつい感じだった。

しかしながら、原作が青春小説という言葉でひとくくりにできないように、映画でも最後の帰着点は違えどアイデンティティクライシスに陥った主人公が「お前は誰の代わりにもなれない、お前自身なんだ」といわれ解放?されるという収まるところに収まっていたので、救われたのかな?
混沌とした原作の終わり方は一種のカタルシスだったと思うのだけれども、映画はあのオープンエンドから彼はどうなるのかが想像つかない。変われるのかな。りばちゃんは?

何より、りばちゃんの劣等感がこちらに恐ろしいほど響いてくる点においてはこの映画大成功だったと思います。そして役者陣が素晴らしかった。あと渋谷の町並みをもっと余裕を持って観たかった。