このフィールドは 君が輝く舞台

雑誌『野性時代vol.146 January2016』掲載 

小説 野性時代 第146号 (KADOKAWA文芸MOOK 148)

小説 野性時代 第146号 (KADOKAWA文芸MOOK 148)

加藤シゲアキ著「だいじなもの」

著者デビュー作『ピンクとグレー』のスピンオフ作品です。スタンドバイミーの4人のうち唯一スポットを当てられていなかったかつての男の子が主人公。

ごっちが死んだ。―加藤シゲアキ「だいじなもの」

という冒頭から物語は始まります。
ごく普通のサラリーマンの主人公。ごっちが死んだことによって幼少期に一緒に過ごした自分が、周りの人々から関心の目を向けられることに、一種得意げな気分になります。その中で彼の"アイデンティティークライシス"の片鱗が見え隠れしていました。
ごっちの告別式に行った時に、ファンか関係者か――。そこで迷った主人公は「僕はどうすればいいのだろう」と途方に暮れます。自分は何者なのか。彼にとって自分はどういう存在なのか(だったのか)。また、りばちゃんが書いた本を読んでりばちゃんの記憶と自分の記憶が一致した時に「それだけで僕は安心できた」と安堵しています。しかし、自分以外のスタンドバイミーのメンバーが大学時代に再会していた事実を知り、自分だけが違うことに気づきます。そして妻の一言「変わったのはどっちなんだろうね」

これを読んだ時のつぶやき。

このあたり、レインやサルトル、あと詩人のランボー*1など挙げたら切りが無いのですが、"自己は他者によってつくられる""自分らしさなどない"というのは有名な言説です。*2

私たちは自分の「顔」を直接的に見ることができません。普段私たちが見ているのは鏡ごしの自分。だから他者からの印象というのは補完する上で非常に重要です。だからこそ、私たちは他人の目を気にします。そして、自分を取り巻く他者が変わる時、「自分」も少しずつ変わります。

この主人公は、過去の自分(に関係した他者)に固執しすぎて、今ここにいる自分を取り巻く他者の存在が見えていませんでした。先ほど言ったアイデンティティクライシス。まさに、「自分は何なのか」という疑問にぶつかることです。(自己喪失)

この不安感をシゲアキさんは見事に表現していました。そして、私のグッときたポイントはこの主人公の妻の台詞です。

二人は、あなたの一部でもない。二人がいなくなっても、あなたはあなたなの。そう気づかなきゃだめなの。―「だいじなもの」加藤シゲアキ

この一言を契機に僕はゆるやかに今まで二人に固執していた自分に違和感を覚え、再びアイデンティティクライシスに陥ります。でも、これは新たな自分へと変わるための前向きな変化です。

小説を書くということは自分を救うことである。というのを先日「閃光スクランブル」のシゲアキさんのあとがきを読んで考えていたのですが、
遠くまで旅する部屋 〜書くことの意味〜 - Metaphysica
自分の中に複数いる様々な他者と関わる自分を小説家は書き続け昇華しているものなのかもしれません。
シゲアキさんはアイドルとしてスターダムにのし上がるアイドルの自分と、スターダムにのし上がる人を身近で見ていたアイドルの自分と、自分の小説が映画化されて後輩が演じるのを見る自分を、今回の「だいじなもの」を最後にピンクとグレーの世界で書ききったのではないでしょうか。

私が私であることを証明してくれるのは、今ここにいる私にとってだいじな人たち。その人たちがかけがえのない人として私を見てくれていることがだいじだよ。そしてそれに気づいて今ここにいるあなたにとって大切な他者をだいじに。

シゲアキさんはそういう人間の根幹にあるものを、ささやかな誰でも実感できる一言で表しています。「だいじなもの」
私はこの題名が全てを語っているとおもいます。読めてよかった。特に十代の皆さんにおすすめします。自分を見失いそうな時に。

※記事題名は嵐さんのHeroから引用。あなたがいる世界(フィールド)ではHero(主人公)になれる。

*1:自分は一人の他者なのだ

*2:鷲田清一氏や細見和之氏など