芸術鑑賞―中原中也【2】
今回は、中原中也の友人の一人、評論家の「小林秀雄」に焦点を当てていきます。
私の職場では、山崎正和、山本健吉などの文芸評論家と共によく目にする名前です。そして小林秀雄と言えば「無常といふこと」と一発で作品名も出ます。
鉄板ですが、今回は『新訂小林秀雄全集』(新潮社)より、中原中也に言及している第2巻をもとにぼそぼそとお話していきます。
新訂版でもだいぶ昔だったようで、古書の部類に属していました。
さて、この2巻に中也と富永さんについての文章が収められています。その中から関係性が垣間見える箇所や、小林秀雄からみた中也について少しかいつまんで。*1
大学時代、初めて中原と会つた当時、私は何もかも予感してゐた様な気がしてならぬ。
言ふまでもなく、中原に関する思ひ出は、その所を中心としなければならないのだが、悔恨の穴はあんまり深くて暗いので、私は告白といふ才能も思ひ出といふ創作も信ずる気にはなれない。
中原中也の思ひ出 より
この二人を語るには、もう一人の人物が必要になります。長谷川泰子。女優であり、中原中也と小林秀雄が愛した女性です。スキャンダルにおいて文学史に名を残す女性です。このエピソードを知ったとき、天智天皇と天武天皇の間で揺れた「額田王」を彷彿とさせるなーと思いました。源氏物語の「浮舟」のように儚げで優柔不断な印象ではないので毅然と和歌を詠んだ「額田王」だなと。……また脱線しました。そこから痴情のもつれで絶縁関係になりますが、結局中也が生前最後の詩を託したのはこの小林秀雄でした。双方なかなか当時の話をしていないので、よほど爪あとを残した出来事だったのではないかと推察されます。
小林秀雄は中也の詩の根幹にあるものをこのように表現しています。
中原の心の中には、実に深い悲しみがあつて、それは彼自身の手にも余るものであつたと私は思つてゐる。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なづけるにはたりなかつた。
彼は自己を防御する術をまるで知らなかつた。世間を渡るとは、一種の自己隠蔽術に他ならないのだが、彼には自分の一番秘密なものを人々に分ちたい欲求だけが強かった。その不可能とか愚かさを聡明な彼はよく知つてゐたが、どうにもならぬ力が彼を押してゐたのだと思ふ。
中原中也の思ひ出 より
これは生前の中也を振り返る誰もが口にしているものです。悲しみが常に彼の中にあって、普通の人はそれを隠したがるのに、彼はそれを人々に開示した。それは聡明な彼にも抗うことのできない力によるものだった……と。
それが中也に課せられた運命であり使命であったんでしょうか。
こゝに自ら生れる詩人の言葉に関する知的構成の技術、彼はそんなものに心を労しなかつた。労する暇がなかつた。大事なのは告白する事だ。詩を作る事ではない。さう思ふと、言葉は、いくらでも内から湧いて来る様に彼には思はれた。彼の詩学は全く倫理的なものであつた。
中原中也の思ひ出 より
彼は評論家でありながら、自分の分析が中也の人となりを反映しすぎている愚かさに気づいています。しかし、そうせずにはいられない。それだけ周りの人々に大きなインパクトを与え、作品としての詩以上に中也自身が存在していたということが分かります。そして、小林秀雄が最も美しい遺品だと称しているのが次の作品です。
蝶というモチーフはやはり幻想的(メルヘン)ですね。道教の始祖荘子の胡蝶の夢しかり。
君の詩は自分の死に顔が
わかつて了つた男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさへあつたつけ
僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音をたててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな
ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言われぬ君の額の冷たさに触つてはみたが
たうたう最後の灰の塊りを竹箸の先で積もつてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただろう
夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄らしい谷間ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確かめるやうな様子であつた
あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉がいえようか
君に取り返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた
あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗って行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば死んだ中原 より
荼毘にふされた中原を見た小林秀雄のある種の懺悔が聞こえてきます。
なぜ生前裏切られた友に詩を託したのか。私は中也が根っこの感性の波長が一番合っていた稀有な存在として小林秀雄を認識していたのだと考えます。それが原因で一人の女性をめぐっての争いがあったのではないかと。自分の抱える悲しみを「共感」してくれる人物に自分の欠片を託したのではないでしょうか。
小林秀雄は彼の発表した「山羊の歌」に推薦文を寄せています。
まあこんな事をいくらかいたつて実物を読まぬ人には通じやうがない。嘘だと思つたら詩集を買つて読んでごらん。彼が当代稀有の詩人である事がわかるだらう。
確執を超えて、深い所で繋がっていた中原中也と小林秀雄。この二人の関係を端的に表すならば、「同志」なのではないかと思った次第です。