芸術鑑賞―中原中也【1】
芸術の秋。そろそろ詩にちょっと目を向けてみようかなと思っていたところ、舞台「フレンド」詩人中原中也を取り巻く人々の青春群像劇があるということで、観劇できない分ちょっと中原中也について勉強をしている最中です。
手始めにこちらから。
この作品集には、『山羊の歌』『在りし日の歌』『未完詩篇』の3つが収録されています。
まず、舞台の設定はここからきただろう作品。
いろんな作品の至る所で悲しみや寂しさをあけすけに表現してあります。社会への不安や不満をそっくりそのまま表現するダダイズムの影響を大きく受けている彼ですが、私は次の詩を読んである物語の主人公を思い浮かべました。
人には自恃があればよい!
その余は全てなるまゝだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。
―盲目の秋 『山羊の歌』より
「自恃」とは自ら恃むと書いて自分自身をたのみとすること。ここから私は、中島敦の『山月記』の主人公「李徴」を思い浮かべました。
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
―『山月記』より
もちろん全く同じではありません。言うならば表裏一体。世の中で信じられるのは自分だけだと必死で生き抜く中で、中也は人と衝突し、李徴は徹底的に人と距離を置きます。中也の周りにはそんな彼の性格を理解してくれる友人がいましたが、李徴は結局自分の心の中を誰にも理解されず虎になってしまいます。
どちらも自分だけが……と思いつつ、心の底では自己顕示欲が大きかったのではないでしょうか。すごく人間くさくて、不器用な生き方をする分、人よりもエネルギーを使っていたんだろうと思います。
李徴の話はここまでにしておいて。中也ですが、二十一歳にして大岡昇平の紹介で安原嘉弘に出会います。彼が中也の無二の友人になり、後の詩集『山羊の歌』の誕生に繋がっていきます。九月のことです。
そして安原が奔走しつつ最終的に『山羊の歌』が刊行になったのは二十七歳の時。その中の安原へ贈る詩「羊の歌」は二十四歳で書かれました。
詩の下に解説が書かれていますが、友人の安原に自分の消えることのない寂しさを語る調子でかかれたこの「羊の歌」は『山羊の歌』の最終章を飾るものです。これを書いた二十四歳の頃を歌ったものが『山羊の歌』の中盤にあります。
二十 ― 二十二
私の上に降る雪は
雹であるかと思はれた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
―生ひ立ちの歌 『山羊の歌』より
奇しくも安原へ贈った辞世の詩とも見える詩を書いた二十四歳。彼の心は凪いでいたのでしょうか。
この後、三十歳にして小林秀雄に『在りし日の歌』を託します。これも九月のことです。そして十月この世を去ります。
ひりひりするような詩調で、随所に彼の内なる叫びが「!」で表現されている『山羊の歌』に比べ、死後発表された『在りし日の歌』は非常に優しい詩調であるのが特徴です。ただ、半分諦念のようなものが見え隠れしているように思えます。根底にはずっと「寂しさ」がくすぶっていたのかもしれません。
少し暖かくなるような詩。
私はこれがすごく好きです。
『山羊の歌』では、春という季節はほとんど出てきません。しかし、『在りし日の歌』は春がよく出てくる。彼の心にどんな変化があったのでしょうか……。
今回はここまでにして、今度は中也に関連する人物の本を読んでいきたいと思います。今夜此処でのひと盛り。…にもなっていませんが、ここまで耐えて読んでいただきありがとうございました。