再び、閃光スクランブルを読んだ。

漫画『生徒諸君!!』の作者庄司陽子さんが前に言っていた「物語は読み終わって主人公が成長していなければならない」というようなニュアンスの言葉が印象に残っている。これを見事に達成しているのが今回の作品ではないだろうか。
『Burn.』発売に伴い、先にまだ書きかけだった『閃光スクランブル』の感想を再び読みながら綴っていきたいとおもいます。

エンターテイメント小説としてすごくスピード感に溢れている。その反面、儚くて痛々しい主人公の設定。主人公が男やもめであることがズルい。このどこか哀愁ただよう感じと、パパラッチの任務が完了する度に増えていく背中の"ダリアの葉"。何となく、金原ひとみの『蛇にピアス』を彷彿とさせる。入れ墨入れるのと、ピアス開ける心理はなんとなく似ていて。体にしるしをつけることで伴う痛みによって生きていることを実感したり、それぞれ印を入れた時の出来事を忘れないように刻むことだったり。
でもそれがですよ、物語終盤の巧の言葉でさらに意味があったんだと気づいたときの衝撃ね。花言葉をここで使ってくるかと。彼の背中に"ダリアの花"が入ったら、彼を縛っている未練を断ち切った証拠って…。恐ろしく美しい。この縛っているものから解放させたのがアイドルである亜希子。

亜希子もすごく頭が良くて、もがき苦しんでいる様子は、きっとシゲアキさんのいつか感じた思いが反映されているのだろう。彼女の生き方はアイドルじゃなくても、現代の若者は共感できるはず。自分の存在意義とか、他人と比較して感じる劣等感とか、そんなものから目を背けたいけれど、チェシャ猫のようにジャコランタン (Jack-o'-Lantern)が現れて、そこを指摘してくる。

生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にし、萎びて転がっていたカブをくりぬき、それを入れたランタンを片手に持って彷徨っている姿だとされている(→ウィル・オー・ザ・ウィスプ)。

また、悪賢い遊び人が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国へいくことを拒否され悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブに憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だともされている。

旅人を迷わせずに道案内をすることもあるという。

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すごく意地悪なヤツのように見えて、実は上の引用の最後みたいに「道案内」してくれる存在としても解釈できるんじゃないかと読んでいて思った。揺さぶりをかけて、迷わせて考えさせて辿り着かせる。そして新しい自分へと導いてくれるもう一人の存在が巧。

互いに導かれて、二人がお互いの底にあるものを吐き出し救われる。二人の世界はスクランブルのように交差して、そのあとまた離れていく。行き交う多くの人々の中からまたいずれ巡り会うことを信じて、巧は色彩を取り戻して背中にダリアの花を咲かせ、亜希子は自分の人生への覚悟を胸に腕に琴座の印を刻む。

半年後の巧の描写で物語は幕を閉じる。これは物語の冒頭の流れと全く同じループの手法で繰り返される。第一章の伏線をしっかりと拾って終了。彼がモノトーンの世界にいた第一章、そして色と生きる希望を取り戻した最終章。ダリアの葉のみに覆われた背中と、大きく大輪のダリアを刻んだ背中。死んだように生きていた日々から脱却した彼の姿で物語は終わりを告げる。

「さよならオルフェウス」が物語の主題歌。まるでローマの休日のような逃避行。切なくて苦しくて生々しい中に、優しさとかわいらしさとロマンチックが散りばめられた物語でした。